historytop

INFORMATION

西川口駅西口の歴史

西川口駅西口が現在に至るまで

西川口という地名は1954年に駅ができたところから始まります。当時の列車は蒸気機関車で、駅の付近で火の粉による火事がおこっていたり、黒煙で洗濯物が黒くなったりすることもあり、駅ができることはあまり歓迎されていないようでした。当時の街の中心は今の川口駅周辺や仲町、蕨でしたので、西川口駅の設置場所は街の中心部から少し離れた今の場所に決まりました。1970年頃に、日本のあちこちに点在していた赤線地帯が西川口駅西口近くにもできました。通称「鉄塔横丁」です。そこを中心に鋳物工場で働く工員や建築作業員などが息抜きをする繁華街として栄えていきました。

70年代はたくさんの娯楽店が周辺地域から移転してきて、街は大きくなっていきました。これらにともなって、豪華な飲食店や多様な物販店も増えていきました。芸人さんや様々なジャンルの歌手などがキャバレーなどで余興を行い、芸能の街としても盛り上がっていました。80年代に入ると世の中の好景気によって街は最高潮を迎え多種多様のお店が営業する、東京の繁華街と比べても遜色のない街に発展していました。昼間でも人が多く様々な業態の店舗や企業が営業活動を行っていました。90年代に入るとバブルが崩壊し、少しずつ影響が出ていきました。しばらくは大きな影響は感じられませんでしたが、娯楽店舗やそれに付随する飲食店・物販店が少しずつ減少していきました。その抜けたテナントに違法風俗店が入りはじめました。

2000年代に入り、街が少しずつ衰退していきました。衰退と入れ替わるように違法風俗店が増えていき、不名誉な違法性風俗の街として有名になってしまいました。ネガティブではありましたが、日本のあちこちから人が集まり、街の活気はまだ衰えていませんでした。 2004年に新宿から始まった「違法風俗浄化作戦」が西川口にも適用され違法風俗店は一斉に摘発されました。そこから西川口はシャッター街となってしまい、しばらくゴーストタウンの様相となっていました。その後、空いた店舗に中華系の店舗が入るようになり現在に至ります。 本来バブルがはじけた時点で衰退していくはずだった西川口がしばらく活気があったのは、違法風俗店がたくさん営業していたためで、それらが摘発されると本来の衰退した状態になってしまいました。 今は違法性のある店舗はすべてなくなり、中華の街として認知されてきているようです。みなさまが持っている元来の西川口駅西口のイメージとはちがう街並みになってきてはいますが、昔から営業しているお店も多く残っており、地元のコミュニティーが今も息づいています。西川口駅西口地区商店会連合会は、地元コミュニティーの取り組みを活性化させ、皆さんと一緒に楽しく住みよい街にしていきたいと考えています。(1~2枚目写真提供:川口商工会議所)